真善美のある暮らしを表現する
この読みものは、2025年6月発売、松場登美『登美さん つくる、つくろう、私の人生』(株式会社いま&ひと)より、一章「登美さんが語る――創造の源泉」を一部抜粋したものです。
人間には、美しく生きるために「真善美」を感じる心があります。真善美とは、哲学(真)、宗教(善)、芸術(美)、と言いかえることができるのではないかと私は考えます。
私たち夫婦が大森町に帰郷した1980年代初頭は、世間はバブル期に突入しようという時期。私たちは、あえて時代と逆行して生きようとしたわけではなく、自分たちの信じる道を生きることが、当時の時代の流れとは逆だったのです。
「この流れが世の中なら、私はこの流れに逆らってでも生きてみたい」、まさに冒頭の婉の言葉につながるわけですが、そのときの私たちは、経済や利便性を優先した都会の生活に背を向けて田舎に移り住み、そして、ここに「自分たちの理想郷をつくりたい」、そんな思いを持っていました。
帰郷当時、過疎の一途を辿るこの町に、往時のにぎわいはありませんでしたが、豊かな自然と鉱山町として栄えた歴史、あたたかなコミュニティ、昔ながらの素朴な暮らしがありました。同時に余計なものがなかったことも魅力でした。
私自身、ここに帰ってきたときから「ここならやっていける」と感じていました。ここなら自分の信条を曲げることなくやっていける、私の価値観をここなら表現できると思ったからです。暮らしが都会中心になると、既製品やできあいのものが簡単に手に入るので、自分で工夫して何かをつくるということもなくなります。そういった風潮に対して、私たち夫婦は、暮らしを見直そう、暮らしの中の真善美を大切にしよう、そう伝え続けてきました。
真善美は、哲学者、宗教家、芸術家など、特別な人のものではありません。日常生活から、かけ離れた高い棚に置くものではなく、すべては私たちの暮らしの中にあるのです。
そういった真善美を感じられる場をつくりたい。私たちの思いが結実したのが、町内にある古民家再生の宿「他郷阿部家」です。「他郷」とは、中国の言葉でもう一つの故郷という意味。訪れた人にとって阿部家がもう一つの故郷になりますように、と名づけました。
人々の暮らしの「衣食住」に「美」をつけた「衣食住美」を理想の暮らしとして、若い人たちを巻き込んで運営しています。阿部家こそ、私が心から望んだ暮らしを表現した場になっているのです。この家では、捨てられたり壊れたりしたものたちが美しく輝いています。