日本随一の藍のふるさと、阿波へ。
「藍といえば阿波」。すでに江戸時代後期から、そんな評判を得ていたと言われる徳島の阿波藍染め。その背景には、この地の風土と歴史、そして藍に関わる人々が育んできた豊かな物語があります。今回私たちが訪ねたのは、そんな物語を受け継ぐ工房のひとつ、岡本織布工場さん。大正元年に創業した同社は、天然藍(タデアイ)からつくる「すくも」を原料にした藍染めで、伝統的工芸品「阿波しじら織」などの先染め織物から製品染めまで幅広く手がけています。私たちは5代目代表・岡本弘子さんにお話を伺いました。

岡本織布工場さんが拠点を構えるのは、徳島県を横断する一級河川・吉野川の支流である鮎喰川の近く。この吉野川水系がもたらす恵みこそ、この地を藍の一大産地に育て上げた要因でした。関東の利根川、九州の筑後川と並び、「日本三大暴れ川」のひとつにも数えられる吉野川。その流域に広がる平野部は、かつて何度も氾濫による洪水に見舞われてきた歴史があります。
稲作にはリスクが高すぎる土地である反面、洪水がもたらす水にはミネラル分が豊富に含まれ、土壌を肥沃にする効果がありました。そこで徳島藩主・蜂須賀家は、藩の財源として藍作を奨励。江戸時代中期から始まった綿織物の普及にも後押しされ、阿波藍は全国的に知られるようになりました。今なお徳島が、藍の生産量において日本随一を誇っているのもそんな理由からなのです。
岡本さん
「ですから吉野川沿いには昔から藍に関わる仕事をする人が多かったんです。この町内は、どちらかというと染めに使う綿生地をつくっていた機屋が多く、うちもそうだったんですが、じきに藍染めも手がけるようになったようです」

藍農家から藍染め職人へ、澄んだ青を生む手仕事のリレー。
藍の染液をつくることを「藍を建てる」といいますが、その藍建てに使うのが、地元の藍農家が丹精込めてつくった「すくも」。春先3月に種を蒔いて育てたタデアイを夏に収穫し、生葉だけを選別して発酵させ、染料にしたものです。生葉を乾燥させる「藍こなし」に始まり、「寝床」と呼ばれる作業所に葉藍を積み上げ発酵させる「寝せ込み」、そしてその発酵がムラなく進むよう4〜5日おきに行う「切り返し」。約100日間かかるすくもづくりは、藍が発する熱と発酵臭に包まれながら行う厳しい肉体労働です。

岡本さん
「すくもがなければ藍染めは成り立ちません。うちは3軒の農家さんからすくもを仕入れていますが、面白いもので染めてみると農家さんごとにかすかに違いがあるような気がします。それは水によるものなのか土壌によるものなのか、種によるものなのかはわからんのですけど」
化学染料ではない自然の農産物だからこその個性。それを理解した上で、狙った色合いを出すのが岡本さんたち職人の腕の見せどころ。すくもに灰汁などを加えて約30℃前後に温度を保ちながら発酵を進めていくと、2週間ほど経つ頃、藍液の表面に「藍の華」と呼ばれるあぶくが立ちます。これが染めに使えるようになった合図。
発酵によってできた藍液は、染めに使われた回数やその時期の気候によって、日々調子が変わるデリケートなもの。たとえばその昔、武将たちに好まれた濃い紺「褐色(かちいろ)」は、白糸を25回以上藍にくぐらせて出しますが、それも建てて間がない元気な藍でないとなかなか濃色が出ないそう。一方「甕のぞき(かめのぞき)」などの薄い色は、やや老いてくたびれた藍を何度か重ねる方が美しく仕上がるといいます。

そうやって淡色から濃色までさまざまな色を醸し出しながらも、共通して澄んだ美しさをたたえているのが阿波藍の魅力。濃い色でも暗く濁ることなく、どこか光に照らされたような透明感があると言われてきました。
藍と微生物と水と空気。自然に逆らわず、自然を味方につけて。
岡本さんに案内され、染め場に足を踏み入れると、どこか土っぽいような甘いような発酵臭が鼻をくすぐります。真ん中に据えられたステンレス染槽の中を覗くと、藍液が元気にあぶくを立てており、「藍は生きている」ということを感じさせます。

さっそく染めの工程を見せていただきました。職人さんが白いカセ糸(一定幅に巻かれた糸の束)を藍液に浸し、糸にムラなく藍が行き渡るように泳がせます。その後、藍液からカセ糸を引き上げて絞り、丹念に束をほぐしながら空気にまんべんなく触れさせていると、茶や緑を含んで黒っぽかった色が酸素還元されて、次第に青く変わっていきます。この工程を、求める濃さになるまで何度も繰り返すのです。藍と、発酵をつかさどる微生物と、水と、酸素。それら自然物の反応を味方につける染めのわざに、思わずため息が漏れます。

岡本さん
「色が決まったら水洗いして、最後にアク抜きのためにお湯で洗います。このアク抜きをすることで色が冴えますし色止めにもなるんですよ。それから糸に糊づけをして干します。乾いたらバリバリになりますから、後に続く糸巻きがしやすくなるよう、糸を柔らかくほぐすのも大事な作業です」

こうして濃淡さまざまな藍色に染め上げられた糸は、織り場に手渡され、さまざまな織物に姿を変えていきます。ゆかたなどの反物用の小幅織機はもとより、旧式の力織機やシャトル織機、高速のレピア織機まで多彩に揃っているのが岡本織布工場さんの強み。国の伝統的工芸品に指定されている「阿波しじら織」はもちろん、最近では力織機で織られるヴィンテージ調デニムも注目の的です。


また岡本織布工場さんは、糸の先染めだけでなく製品の後染めも得意。とくに2025年春夏に群言堂がお願いした「藍ぼかし染」のアイテムは、ほかの職人さんには任せず岡本さんが一枚一枚手染めされたそう。生地を藍に浸す深さや時間、藍を重ねる回数。それらを見極める職人としての勘が、美しいグラデーションを生み出しています。



伝統に革新を加えて、藍のある暮らしを次世代に。
岡本さんの説明を聞きながら染め場を歩いていると、足元には焼きものの藍甕(あいがめ)がずらりと床に埋め込まれているのに気づきます。鳴門の大谷焼と呼ばれる陶器を使った、それら旧式の藍甕は今なお現役。しかしその一方、現在主力で活躍しているステンレス染槽も、岡本さんにとって思い入れの深いものです。
岡本さん
「旧式の藍甕だと腰をいためるからと、主人がこの染槽を考案して特注でつくったんです。糸を絞る装置も主人が考えてくれて、そのおかげで女性でも染め仕事がやりやすくなりました。手絞りだと手が痛くなって大変ですからね」
もともと岡本織布工場さんは、岡本さんの亡きご主人の家業。岡本さんも結婚以来ずっと染め場や織り場を手伝いながら、やがて伝統工芸士の認定も受け、夫婦揃って工場を支えてきました。そんな中、四代目を務めていたご主人が2021年に急逝され、岡本さんは悲しみにくれている間もなく会社の代表を引き継ぐことになったのです。

岡本さん
「このあたりも、最盛期にはたくさんあった機屋はほとんど廃業してしまいました。でも主人はよく“すきま商品”とか“ニッチ産業”って言うてましてね。こだわったデニムをつくったり、藍染めのほかに柿渋染めや墨染めも取り入れたり、よそがやらないことをやってうちは生き延びてきたんです。最近は海外からも藍染めの問い合わせが多くて、欧米の人にとって日本の藍が憧れの対象になっているのを感じます」
藍を次世代に残していくには、やはり使ってくれる人がいてこそ、と語る岡本さん。畑で藍を育てる人から、藍を建て染める人、そして布を織る人へ。バトンをつなぐようにリレーされてきた仕事は、まさに世界に誇るべき日本の宝。私たち群言堂も、そんなかけがえのない仕事に光を当てながら、ものづくりを続けてゆきたいと思うのでした。