「大気に住む者」展 スペシャルレポート vol.2 山ノ瀬亮胤さん(和眼鏡制作者)・新野佑一さん(木彫刻師)対談

2026年4月17日(金)より群言堂本店2階ギャラリーにて始まった企画展「七世 山ノ瀬亮胤+新野佑一大気に住む者」。和眼鏡制作者・山ノ瀬亮胤(りょういん)さんと、木彫刻師・新野佑一さんの作品が合体し、一対の阿吽の龍顔(りゅうげん)となって、この里山の風光の中に佇みます。そこで前回に引き続き、京都在住ライターの松本幸さんが聞き手となり、大森町入りしたおふたりにインタビューを行いました。


山ノ瀬亮胤さん

江戸金枠織(和眼鏡職)の名跡を受け継ぐ七世として、1996年、世界でも珍しいオートクチュールの眼鏡工房を設立。2000年代より、眼鏡を工芸〜純粋芸術の領域に広げる活動を展開し、国内外での展覧会開催も多数。現在は京都を舞台に「ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所」を主宰している。

新野佑一さん

福井県若狭町で過ごした少年期に日本伝統の木彫刻に魅せられ、18歳で木彫刻のまち富山県南砺市井波にて彫刻師・野原湛水氏に弟子入り。5年間にわたる修行を経て2003年に独立し、2009年に若狭町に帰郷。だんじり彫刻や神社仏閣の社殿に奉納する彫刻のほか、身近な生活工芸まで幅広く手がけている。

鎮魂の祈りを込めた和眼鏡「天武尊顔餝(がんしょく)」を見て、龍をつくろうと思った(新野さん)。

——「大気に住む者」は、向かい合う阿吽の龍顔(りゅうげん)が主役です。山ノ瀬さんの和眼鏡に、新野さんの木彫りの龍を合体させるというアイデアはどこから生まれたのですか?

山ノ瀬
この阿吽の龍がかけている和眼鏡を、僕は「顔錺(がんしょく:註1)」と呼んでいます。元はといえばこれは、仏様にかけるためにつくった「天武尊顔錺」というシリーズなんです。

——なぜ仏像に眼鏡をかけようと?

山ノ瀬
眼鏡が日本に入ってからすでに400年になりますから、それだけ続いたものはもう文化と言っていいですよね。一方で仏像というのはまだ眼鏡が発明されていない古代にその形式が定まっていますから、眼鏡をかけた仏像が存在しないのは当たり前です。でも仏像って、薬であったり武器であったり、当時の科学の最先端といえるような、人のためになる器物を手に持っていますよね。僕としては眼鏡の文化を400年にわたって紡いできた先人たちに報いたい気持ちもあって、そろそろ眼鏡をかけた仏像があってもいいんじゃないかと考えたんです。

 山ノ瀬さんの「天武尊顔錺」シリーズの一作品。アート表現であると同時に、道具として機能するよう徹底的に細部までこだわってつくられています。

山ノ瀬
僕が最初に仏様の顔錺をつくったのは2009年。千葉で行われた芸術祭の一環で、円如寺(君津市)の山門の仁王様にかけさせていただきました。そんなことをやってるうちに起きたのが東日本大震災です。僕も車で東北入りして各地を回りましたが、あまりの被害の大きさに胸が痛みましてね。自分にできる鎮魂として、仏様の顔錺づくりを自分の終生のライフワークにするぞと決心して、その作品群を「天武尊顔錺」と呼ぶことにしたわけです。天武尊って仏法を守護する十二神でしょ。だから最低12体はつくろう、ってその時決めたんです。そこには、これによって仏様の救いのパワーを蘇らせたい、という僕自身の願いもありました。

新野
僕が山ノ瀬さんの「天武尊顔錺」を初めて見たのは、2023年に開かれた山ノ瀬さんの個展ででした。2010年につくられた一対と、京都に移ってからつくられた一対と、合計4体が展示されていたんですが、面白かったですね。その時に「この顔錺をかける仏像がない」という話をされていたので、じゃあ自分がつくりますよ、って言ったんですよね。

山ノ瀬
そうそう、だから仏像を彫るのかなと思っていたら龍になった。でも僕の作品を見て新野さんが龍をイメージしたわけだから、非常に納得もしたな。

新野
最初は仏像を彫るつもりだったんですけど、なんとなく(笑)。伝統的な木彫刻にはない遊びも入れながらつくっています。

こちらが阿形の龍顔。「作品も環境に合わせて育っていくもの」という考えにのっとり、2025年に奈良で展示された時から、さらにディテールが進化しています。

山ノ瀬
去年の秋、奈良のとある美術家の邸宅で、僕が「天工開物」というテーマで個展をした時に、新野さんに招待作家として参加してもらって、その際初めて阿吽の龍顔が揃いました。だから対の龍顔を組むのは2回目で、さらに今回は阿と吽を初めて対面させました。新野さんは非常に勘がいいんです。天武尊顔錺が火炎のイメージだからそれを汲み取ってくれて、なおかつ顔錺を引き立てるバランスをうまくつくってくれた。

註1:錺(しょく/かざり)とは、金属加工を用いた伝統的な装飾工芸で、神社仏閣などの建造物や家具、調度品、かんざしなどに用いられてきました。

まだここを見ないうちから展示のイメージは湧いていた(山ノ瀬さん)。

——おふたりが、ここ石見銀山で展示をしようと思われた理由はなんだったのでしょう。

山ノ瀬
群言堂さんとご縁(註2)をいただいてからもう10数年になりますが、僕が実際にここに来たのは去年の12月が初めてでした。でも、ここを見ないうちから僕には見えていたんです。群言堂さんならきっとこういう場や空気をつくっていて、そこで阿吽の龍の視線がこんなふうに交わるだろう、ってね。阿吽というのは、ものごとの始まりと終わりであると同時に陰と陽でもあり、要するにこの世の理(ことわり)ですよね。その中で生きている我々も山も川も生き物たちも、みんな同じ精霊なんだってことを、この里山を訪れる方々に感じていただきたいと思いました。

龍顔(吽)。生まれたてのような猛々しい生命力を放つ龍顔(阿)に比べ、老成した雰囲気を漂わせます。

新野
僕は「山ノ瀬さんがそう言うなら行ってみるか」といった感じ(笑)。去年の年末に初めて来た時は福井から石見銀山まで、車で日本海側を延々と走って、出雲大社にも寄って、7時間ぐらいかかったかな。石見神楽の面をつくっている方もご紹介いただいて会いに行きましたよね。

山ノ瀬
やっぱり神楽とかね、ああいう文化が土地に根づいている土地だからこそ、感覚を共有できる素地があるんだと思います。だってびっくりしましたよ。ポスター用に子どもたちと龍を撮影した時、子どもたちは本当に自然に遊んでたんだけど、「撮影はこれでおしまい」ってなった時に、ひとりの女の子がお花とチョコレートを持ってきて龍にお供えをしたの。精霊の存在をちゃんと感じてるんだよね。

龍顔(りゅうげん)と大森町の子どもたち。

新野
ここの子どもたちに龍を見せると、「大蛇(おろち)だ!(註3)」って言うんです。都会の子はああいう時「ドラゴンボールだ!」って言うんですけど、ここは違うんですね。神楽がちゃんと根付いてるんだな、さすがだな、と思いました。

山ノ瀬
神楽の主役を舞う人は子どもたちにとっても憧れの対象なんだよね。

新野
主役の舞い手はスーパースターだから、それにふさわしい人間であるよう、普段から行動に気をつけるようになるって、神楽面の作者の方がおっしゃってました。それこそスーパーで買い物する時なんかも。不思議なのは、神楽の時は面をつけて舞っているから、素顔はわからないはずだと思いきや、地元の人は足取りでわかるんですって。そうやって人間が育っていくんだなと思いますね。僕も似たところはあって、普段から神社に納めるようなもの、皆さんが拝む対象のものを彫っているわけだから「悪いことはできない」って思いますもんね。

山ノ瀬
何かを極めようとすれば、おのずとその人自身も美しくなっていく。そこにものづくりの核がひとつあると思います。

山ノ瀬さんが「大森町の中でもっとも心惹かれる場所のひとつ」と語る、銀山川にかかるめがね橋の上にて。

註2:ご縁の始まりは2013年、群言堂創業者の松場大吉が還暦を迎えた節目に、社員一同からの贈りものとして山ノ瀬さんの眼鏡をオーダーしたことでした。
註3:石見地方では古くから郷土芸能として神楽が根付いており、中でもスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する演目「大蛇」は石見神楽の代名詞的存在です。

ジャンルは違えど、ものづくりの本質は同じだから。

——和眼鏡と木彫り。異質なものが出会うことで、新しい世界が生まれていますね。

山ノ瀬
新野さんがこうやって僕の表現を広げてくれているのが、本当にありがたいです。年齢も分野も違う僕に、よくまあこうまで引っ張り回されながらも面白がって付き合ってくれてね。感謝しかないですよ。せめてものお返しに僕ができることと言ったら、僕のそれまでの経験や知識やコネクション、そういったものを彼に見てもらうこと。それもまた継承のひとつなんでね。

新野
たしかに、この道に入って28年やってますけど、展覧会なんか全然やってなかったですからね。普段の僕の仕事は、だんじりや社寺仏閣からのご依頼がほとんどで、着地点がきっちり決められている中で設置をします。でも山ノ瀬さんとの展覧会では、打ち合わせになかったアドリブが現場に入ってから次々起きるんです。そんなふうに空間をつくり上げていくのは、それまでの僕の経験になかったこと。それでも最後はこれだというところに着地できるんですよね。

日本の伝統武術「居合」も嗜む新野さん。鍛えられた芯の強さが伝わってきます。

山ノ瀬
やっぱりお互いに技術を突き詰めて、それを自分の体で理解しているからこそ、尊敬し合えるし話も通じる。本質を見れば、我々のものづくりは一緒なんです。伝統工芸の世界では、自分の仕事に閉じ込もる人が多いけど、彼はオープンで受け入れる力を持ってますね。

新野
山ノ瀬さんはアーティストでありながら、その作品はただの展示物じゃなく、道具としての完成度がめちゃくちゃ高い。そういう人だからこそ、ものづくりの話に限らず、違うジャンルの話でも、他の人には通じないことが通じる感覚がありますね。すごく刺激をもらえるし、次につくりたいもののイメージも湧いてくるんです。

会場に展示されている、山ノ瀬さんの「和眼鏡」作品のひとつ。鉄の板を手作業で切り、削ってつくりあげた造形は精巧を極め、実際に人がかけても極上のフィット感が感じられます。

山ノ瀬
もうひとつ、僕が彼にすごく共感するのは、お弟子さんを育てているということ。僕にも弟子が一人いますが、新野さんもお弟子さんたちに実に丁寧に技や心を継承しようとしています。日本のものづくり文化がますます日本から遠ざかっていこうとしている今ですが、こうやって継承を続ける人がいれば、いずれまた息を吹き返す時代が来ると思うんです。我々の代では無理かもしれないけど、我々の弟子たちがそれをやる時代が必ず来るはずだって、僕は願いますね。

新野
僕はアートも伝統工芸も何ひとつ理解していなかった18歳の時に、単純に木彫りに惹かれてこの道に入りました。それまで人生で何かに本気で取り組んだことがなかったから、これに全振りしようと決めて修行を始めたんです。そんな僕に、親方はじめ兄弟子とか通いの職人さんとか、いろんな人が仕事を教えてくれた。自分がそうやって育ってきたから、自分が受けた恩を次の世代に送っていきたいと思います。

「自分から弟子を募集したことはないんですけどね」と言いつつ、現在、3人目のお弟子さんを育てている新野さん。若い人たちの人生を、5年間の修行期間だけでなく独立後も背負い続ける覚悟を決めています。

山ノ瀬
修行っていうと古めかしいと思われるかもしれないけど、それを経験した人とそうでない人では、明らかにものづくりの格が違います。僕も彼もそれを経験しているから、そこもふたりの言葉を超えた相互理解につながっていると思います。

見えない縁に導かれて、ものづくりは時空を超える。

——おふたりのご縁をつないだのは、今年初めにお亡くなりになった鍛治屋さんの彫刻刀だったと伺いました。

山ノ瀬
埼玉の越谷で彫刻刀をつくっていた小倉成年さんという鍛治屋さんがいらっしゃいました。彼は京都仏像彫刻の会で毎年展示販売会をされていたんですが、それがコロナ禍で開催できなくなり、困っておられるという話を聞いて、僕が別の場所を探してご紹介したんです。その展示に新野さんが来てくれて出会えたわけだから、小倉さんに感謝ですよ。

新野
たしか2020年の秋でしたよね。

山ノ瀬
小倉さんは今や数少ない職人で、彼のような人がいなくなったら、いろんな伝統工芸がダメになってしまうのに、そこになかなか光が当たらないんですよね。ですから去年の春には、小倉さんの刃物でつながった人たちを集めて京都で合同展もやりました。

新野
山ノ瀬さんと僕のほかに、能面師と菓子木型師がいて、それぞれの弟子もいて。

山ノ瀬
その時のテーマも「継承」でした。今、彫刻刀のような道具も含め、さまざまな伝統の継承がむずかしく、中には途絶えてしまうものもあるということを多くの人に知ってもらいたかったんです。

新野
まさかあの時は、小倉さんが亡くなってしまうなんて思いもしなかったから、来年もやろうね、みたいな話をしてお別れしたんですが……。小倉さんの彫刻刀は以前に買ってストックしているやつがあって、今使っている彫刻刀がダメになったら、次に小倉さんのを仕込んで(柄をつけて)使うんですよ。それは多分30年ぐらいもつので、そこからまた僕と小倉さんの付き合いが始まるんだと思っています。

山ノ瀬
そういった縁を受け取って、背負っていくのも我々の仕事ですね。

新野
好きな人との縁を感じながら彫っていると、やっぱり気が乗ってくるんです。僕の腕だけじゃなくて、周囲の人も道具も材料も、全部大事です。

新野さんが修行した井波彫刻は、約200種類もの刃物を駆使して彫りあげていくのが特徴。6段重ねになった新野さんの道具箱にも、縁のある方々が手がけた刃物がぎっしり入っています。

——ものづくりとは、つくり手の内側から湧き上がるものと、外界から押し寄せてくるものとが触れ合う薄皮一枚のところで成り立っている、というお話を以前山ノ瀬さんがされていたのを思い出します。すべては相互作用であり、自分ひとりの仕事とは思えないと。

新野
そう思うと、みんな神様に見えてくるんです。

山ノ瀬
そんなふうに感じられる想像力があれば、それぞれが自分の仕事を高めていくことができるし、日本はより日本らしくなれるんじゃないかな。そういう意味でも僕は、この町にすごく希望を感じるんです。

——言葉を超えて同じ感覚を共有している、おふたりの関係性がすごくいいなと思います。

新野
僕には師匠が何人もいるんですよ。彫刻の師匠のほかに居合の師匠もいるし、めちゃくちゃお世話になった先輩もいる。山ノ瀬さんだってそうですし、昔の彫刻を見て学ぶことだってたくさんあります。

山ノ瀬
われわれは今生きている先輩とも、かつて何百年前にいた職人とも、仕事を通じて対話ができるんです。時空を超えるんだよね。


先人たちから受け取ったものを守りながら新たな息吹を吹き込み、次世代につなごうとしている山ノ瀬さんと新野さんの特別対談。それはまさに向かい合う龍顔のごとく、「阿吽」の呼吸が感じられるものでした。折しも石見銀山は、春から初夏へ、一年でもっとも美しい季節を迎えています。精霊たちの気配が満ちるこの空間で、あなたも五感を解き放って、姿あるものもなきものも、共にたわむれる世界へ心を遊ばせてみませんか。

取材・構成 松本 幸
日本のものづくりや食・農・古典芸能にまつわるストーリー収集を愛するライター/コピーライター。目下、茶道にハマり中。2007年「パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所」(主婦と生活社)を刊行。


七世 山ノ瀬亮胤+新野佑一
「大気に住む者」

会期:2026年4月17日(金)〜6月2日(火)
場所:石見銀山 群言堂 本店2階ギャラリー
   島根県大田市大森町ハ183
開館時間:11:00~17:00
休館日:水曜日、5月7日(木)
※4月29日(水・祝)、5月6日(水・祝)は開館いたします。

観覧料:無料


和眼鏡制作者:山ノ瀬亮胤 木彫刻師:新野佑一
Copywriter:松本幸 Designer:品川良樹 Photographer :渡邉英守
Model:大森町の子供たち Producer:群言堂

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