※本記事は2017年に公開したものを2025年に再編集したものです。
群言堂の夏の定番のひとつ、「綿スラブローン」。30年ほど前に松場大吉・登美夫妻が出会い、生地に惚れ込み、以来作り続けているシリーズです。
ありがたいことにファンも多く、毎年夏の前になると綿スラブローンの服はできたかな?と名指しで店舗に遊びにいらしてくださる方がいらっしゃるほど。
今回は、古橋織布や産地について、また生地を使い続ける登美の想いに焦点を当てます。




静岡県浜松エリアの「遠州織物」という繊維産地

まずは、古橋織布が工場を置く産地についてお話させてください。 静岡県浜松市は、江戸時代から綿花の栽培地、明治時代には遠州織物の産地として栄えた土地です。
とはいえ、かつて1,600軒以上あった「織屋」は、時代の流れや担い手の減少につれて、2017年の時点で70軒程度まで減ってしまいました。
古橋織布は、そんな中で伝統と技術を後世に伝えようと不断の努力を続け、今日まで生き残ってきた織屋です。
松場大吉・登美と古橋織布の当主・古橋敏明さん(2017年取材当時。2025年現在は会長)との出会いは、今から30年ほど前にさかのぼります。

そこに居合わせたのが大吉。「すごい生地と作り手に出会った」と、帰宅するなり興奮しながら話す大吉の姿を登美は今でも鮮明に思い出せるといいます。
大吉と登美が惚れ込んだのは、作り手の姿勢と出来上がる生地の品質の高さ。触れるなり、ひんやりとして手に吸い付くようで、風合いがほかの生地と段違いに異なる。古橋織布の織物に、ふたりとも感動を隠し得なかったのだそう。
代々続く工場を、大切に手入れしながらものづくり

古橋織布のものづくりの現場は、太陽光が最大限に差し込むように作られた北向きの窓がずらりと並ぶ、昔ながらののこぎり屋根を持つ工場です。
その工場の中で、ガチャンガチャンと朝早くから音を立てるのが、古橋織布が愛用するシャトル織機。 シャトル織機とは、高度経済成長期に日本の大多数の織屋が手放した旧式の織機のこと。
最新式の織機であれば、1日あたり400メートル以上の生地を織れますが、シャトル織機はその10分の1以下の速度。 毎日油を指したり、温度や湿度にあわせて機械の調整をしたりと、使用には手間がかかります。
それだけでなく、天然素材の細い糸を使用し織り上げるため頻繁に糸が切れて織機が止まりやすいなど困ることも多いけれど、機械や技術、受け継いできた伝統を継ぎたいと、古橋織布はシャトル織機を使い続けています。

ただ、それだけでは古橋織布独自の風合いの生地は作れません。秘密は、古橋さん自身がお客さまが求める品質に対応できるようにと、試行錯誤を重ね独自にシャトル織機を改良し続けてきたことにあります。
通常よりも5〜10%ほど糸密度を高くし、開口部を15〜20%ほど開いて、ゆっくりと低速で織っていく古橋織布の綿スラブローン。通常よりも手間をかけて織り上げるからこそ、空気を織り込んだようなふんわりとした風合いの生地に仕上がるのだとか。
日本全国に織屋は多数あるといえども、群言堂が古橋織布に特に惚れ込んでしまう理由は、作り手のものづくりへの想いやこだわりにあったのです。
古橋織布の作る「綿スラブローン」に出会って以来、毎年生地を採用し続けてきたのが松場登美。
「やっぱり、大好き」「心地がよい」と笑顔いっぱいに語る理由は、一体どこにあるのでしょう?
肌が正直に心地いいと感じるから、ついつい手が伸びてしまう

「理屈ではなくってね。やっぱり肌はとても正直。触れた瞬間、心と体のどちらもが心地よいと感じるんです。
古橋織布の生地に限らないけれど、人間も自然の一部だから。天然素材の、風合いの良い生地が心地よいと感じるのは当然ではないでしょうか?」
登美は、料理と同じように洋服も素材ありきだと語ります。どんな料理だって、旬の素材を上手く使ってシンプルに調理するのが最高の贅沢。古橋織布の生地は素材がいいから、過度なデザインを施す必要がない。

「仕事柄、クローゼットには服がずらりとたくさん並んでいます。でも、いつも手が自然に伸びてしまうのは体が喜ぶ服。
着やすくて肌にやさしい古橋織布の綿スラブローンは、10年以上前のラインでも現役。素材も作りもよいから、へたることなく洗うたび風合いは増すばかりです。
店頭で、実際に触れた瞬間惚れ込んでくださるお客さまがいることもありがたい。けれど、なんとなく気持ちがいいと買ってくださった方が、10年後に『この服すごいね』と気が付いてくださったときが、じつはとてもうれしいんです(笑)」
共通点は「非効率なことを大事にしている」気持ち

風合いのよさだけではなく、登美は古橋織布のものづくりへの姿勢にも惚れ込んでいます。理由は、群言堂がものづくりの中心に据えている「復古創新」の精神と、古橋織布のものづくりへのこだわりにたくさんの共通点があるから。
「モノを作っていると、モノとしては形があって目に見えるんでしょうけれど、そこに託された想いだとか、人柄だとか。そういったものは目には見えない。でも感じることはできると私は信じています。
そんな感覚があって、初めてモノとしての満足度が満たされるというか。古橋織布をはじめ、私が惚れ込んでいるモノたちにはすべてそれがあるような気がします。モノだけではないというかね」。

登美は、続けて群言堂の「復古創新」のテーマに込めた想いを語ります。
「群言堂と古橋織布の一番の共通点は、非効率の中に美しさや大切なことを見出していることだと思います。
経済や効率化を優先すると、質が落ちてしまったり、量産型になったり、手間暇をかけなくなってしまったりします。それが本当にいいことなのかどうかって、考えてしまいますよね。
みなさんがご存知のとおり、日本の伝統や技術は日々失われつつあります。でも、モノを残さないと技術も残らないし、職人さんも育てることができません。群言堂やブランド『登美』はその流れに抗う一筋の希望でもありたいと思っています」
近代化に向かう時代の中で、群言堂と同じく、ていねいにかつ実直にものづくりを続けてきた古橋織布。20数年を経て「互いに年をとったわね」と笑いながら、「私たち、かなり非効率なことを真面目にやってきたと思う」と見つめ合う姿には、取材陣もぐっと心を打たれました。

これからも応援し合ってモノ作りを続けていきたい
群言堂は「ものづくり応援団」という言葉をよく用います。けれど、登美は「もしかしたら応援しているつもりが、私たちも応援されている立場にあるのかも」ともこぼします。
それは、群言堂が古橋織布のような織屋に継続発注をしてものづくりを応援しているつもりでも、じつは古橋織布のように生地を作ってくださる方がいるからこそ、群言堂が存在し続けられているという図式に気が付いているから。
「この両方の関係が、私はとても好き。応援団同士で、エールを送り合いながらものづくりや想いを次世代に継いでいけるといいなと思っています」
時代が変わっていく中で、非効率なことの中に美しさや大切なものを見出した2つの会社。唯一無二の個性同士がタッグを組んで、20年以上に渡って作り続けてきた綿ローンだからこそ、多くの方に愛されるのかもしれません。
復古創新のテーマを掲げ、日本国内の様々な産地や作り手とともに歩んできた群言堂。 変わらない伝統とものづくりを続ける古橋織布も、今は若い力も加わり少しずつ変化を積み重ねているようです。
「変わらない」のではなく、「少しずつ変化しながら、大切なことを伝え続ける」。
そのあり方は、古き良きものを再生し、今の時代と共存させようと考える復古創新の想いととても似ているように思います。
そんな古橋織布と群言堂が、時代を超えて残したいと願う綿スラブローン。
一度触れたら肌と心が喜び、もしかしたら明日からの価値観までも、少しずつ変えていってくれるかもしれません。