群言堂の本社ではたらく
峰山博気(みねやま・ひろき)さん
この記事は、2022年4月に公開されたものです。
神戸のニュータウンで震災を経験
峰山博気は1982年に母の実家のある京都で生まれ、銀行員だった父の社宅がある神戸市で2歳年下の弟と仲良く育った。
兄弟で野球に打ち込んだ小学生時代、近くにできたニュータウンに引っ越した。
小学6年生のある日、悪夢を見て5時ごろに目が覚め、起きていると強い揺れが襲った。
阪神淡路大震災だった。
幸い自宅は無事だったが、1、2週間は水が出ず毎日公園まで水汲みをしに行ったのを覚えている。
当時テレビで見た被害の映像が衝撃的で、今でも地震への恐怖心を持ち続けている。
反抗期、突然の父の死
中学からは軟式テニスを始めた。
明石の硬式テニス強豪校に進学しテニス漬けの生活を送る頃、父の急性白血病が分かった。
兄弟からの骨髄移植は成功したが、残念ながら進行が早く、発覚から1年経たずに亡くなってしまった。
それまでは反抗期真っ只中で、父親も単身赴任していたのであまり話すことはなかった。
母の勧めで、入院している父と大学ノートで交換日記をつけたのが唯一のコミュニケーションだった。
父は最後まで「長男なんだからお母さんを頼むぞ」と念を押した。
母が毎日泣いている姿を見るのは辛かったが、兄弟でも助け合うようになり家族の絆は深まった。
実家を離れるまで毎日三人で般若心経を読み、少しずつ父の死を受け入れていった。
群言堂と出合った学生時代
実家を出て鳥取県で過ごした学生時代は、一ヶ月のヨーロッパ旅行に出かけたり、ダンスサークルで汗を流したり、充実したものだった。
洋服が好きで就職活動はアパレル企業を受けたが、なかなか決まらず悩んでいた。
そんな折、大学の先生から「石見銀山で古民家再生をしながらアパレルをやっている企業がある」と聞いて群言堂を訪れた。
案内してくれた登美さんの「暮らしそのものをデザインしたい」という言葉に惹かれて、入社したいと面接を受けた。
しかし当時経営状況が良くなかったため断られてしまう。
入社のきっかけ
「坂田明さんのコンサートがあるから、採用とは関係ないが手伝いに来ないか」鳥取に帰った数週間後に連絡があった。
そして足を運んだコンサートの打ち上げで、初めて会長の大吉つぁんと会った。
採用を断られたことを話すと「決して上手ではないが、一生懸命掃除するあなたの姿を見せてもらった。3年くらい修行に来るか?」と言われた。
仕事観の変わった阿部家での経験
2005年の入社後は群言堂本店で1年販売を経験し、本社・企画で1年半ほど、生産やデリバリーなどものづくりの一端を学んだ。
次に営業で1年、西日本の店舗を先輩と回り、他郷阿部家立ち上げのタイミングで宿泊業務を担当することになった。
当初、やりがいのあった営業の仕事からお部屋の準備や風呂掃除といった地味な仕事に変わったことが少しだけ不満だった。
しかし阿部家で働きはじめると接客もうまくできず、商売のこともわからず、自分の力不足をいやというほど痛感した。
お客様の思いや要望に気付き、期待を上回る感動を生む登美さんから少しでも学ぼうと必死になった。
登美さんと夕食を共にして、チェックイン時とはがらりと印象が変わったお客様を幾度となく目にした。
やがて何のために地味な仕事を徹底するのかがおぼろげながら分かってきた。
ある日雨に濡れたお客様の靴を乾かそうと、自ら考えて新聞紙を詰めている自分がいた。
いつしか自分の行動も変わっていたのだった。
仕事を楽しむ
大学ノートの交換日記は登美さんとのやりとりにも役立った。
厳しいこともたくさん書かれているが、企画の仕事もしながら、しかも阿部家も軌道に乗っていない中、睡眠時間を削って毎晩ノートを書いてくれていた姿を思い出すと今でも感謝の念が絶えない。
最後は番頭まで務めて、2014年、湘南にオープンする店舗の立ち上げを機に阿部家を卒業した。
その後群言堂本店のマネージャー兼仕入れ雑貨のバイヤーとして3年間働いて本社に移り、物流担当として3年務めた。
2021年7月から配属された営業・店舗計画の仕事では、あらゆるデータの検証や振り返りが会社としての大切な蓄積につながっていく面白さを感じている。
家族と暮らし
妻の由紀子(松場家の次女)とは入社後すぐ出会った。
自分にはない面白い発想や家族への思いやりの深さに触れるうち、一緒になったら楽しそうだと思い2012年に結婚。
2016年には長女が、2年後には二女・三女となる双子が誕生した。

自宅は町内の古民家を再生した。
最近はコロナ禍で在宅時間が長くなり裏庭を使う機会が増えたので、裏庭も部屋の一つとして子が遊びやすいよう整備し、タープを張れるようにした。
テーブルを出して食事をしたりビニールプールをしたり快適に過ごせるようになり、自分の暮らしを自分でつくる喜びを知りつつある。
人の命は誰でも明日は分からない。
何かに合わせるのではなく自分の心の向く方にしっかりと歩み、仕事も暮らしも楽しんで後悔のない生き方をしたいと思う。
書き手:三浦類

