心安らぐ風景をつくる
この読みものは、2025年6月発売、松場登美『登美さん つくる、つくろう、私の人生』(株式会社いま&ひと)より、一章「登美さんが語る――創造の源泉」を一部抜粋したものです。
「人は人生の岐路に立ったときに、人の言葉より、いつか見た風景に慰められることがある」と聞いたことがあります。私自身、風景の記憶は、今も自分の中に深く残っています。たとえば、子どもの頃に麦畑や菜の花畑の中を走ったときのにおいや、大きな木の幹にさわったときの感触。そういった記憶は、人間にとって、とても大事なものです。そして茅葺屋根の家は、日本の原風景であり、多くの人が懐かしさを感じる風景ではないでしょうか。
私は「導かれるように」と表現しますが、それほど計画を立ててやっているわけではないのに何か大いなるものに導いていただいた、と感じることがよくあります。茅葺屋根の家もまた、いろいろな方々との奇跡的な出会いによって、まさに導かれるように、私たちのもとにやってきました。
仏教には「妙みょうこうにん好人」と呼ばれる信心深く心の美しい人がいますが、茅葺屋根の持ち主のおばあちゃんは、まさに妙好人のような人でした。おばあちゃんは17歳でこの家に嫁ぎ、8人の子どもたちを生んで育てた人。石うすで大豆をきな粉にして食べさせた、いろりに子どもが落ちてやけどさせてしまった、土間でわら仕事をしきりにした……、私たちが家を引き取る前に、この家での暮らしをたくさん聞かせてくださいました。
古民家もそうですが、町にも連綿と紡がれてきた歴史があります。ですから、茅葺屋根を移築する際も、どこに置けば違和感がないか、どうすれば調和が保たれるか、そのバランスを大切にしました。
熟考の末、茅葺屋根の家は、山を背景にした敷地に移築を決めましたが、その前に、コンクリートのU字溝を掘り起こして石積みの小川をつくり、丸太の橋や
あぜ道をつくり、それらが完成したあとに茅葺屋根の家を移築して、奥の目立たない場所に社屋を建てました。
私たちは茅葺屋根の家を「鄙舎」と命名し、社員の休憩場所や地域の人たちの集まる場所として活用しています。
この風景をつくるために大金を投じてきましたが、今や茅葺屋根の家は群言堂の象徴的な存在ですし、この家のない群言堂は考えられなくなりました。ここに美しい風景が一つひとつでき上がっていくことが、実際の売り上げや利益にならなくても、私たちの会社を支えてくれているのです。