この読みものは、2026年1月発売『とみとふく 76歳、古民家ひとり暮らしの登美さんと、保護犬フレンチブルドッグ福の幸せな日々』(小学館)より、第3章「禍を転じて福となす」の一節を転載しています。
丸くなった?
福と一緒に暮らすようになってから、何かしら私に変化が生まれてきているようだ。それは、自分で気づくこともあれば、周囲の人から言われて気づかされることもある。
自分で気づいたことの一つは、こだわりが薄れたこと。こだわりが全く無くなった訳ではないが、些細な事はどうでも良いと思えるようになった。よくよく考えてみると、生きていく中でどうでもいいことの多いこと。どうして今まであんなことにこだわっていたのだろうと思うようになった。
だから、福に関しても寛容になった。「まあ、そんなもんでしょ」と思えるようになり、ちゃんと躾のできた子と比較することもない。
福は福、あるがままでいいのよ。何とおおらかになれたことか。
福に対して寛容ということは、飼い主としての私がいいかげんでも良いという言い訳にもなり、気が楽である。世間ではよく「親が親なら子も子だ」と言うが、この場合「犬が犬なら飼い主も飼い主だ」いや「飼い主が飼い主なら犬も犬だ」か? まぁ、どちらでもいい。
いいかげんは「良い加減」と書いて、「ほど良い」または「ほどほど」という意味がある。福のいいかげんさは、コンプライアンスが云々と騒がしい世間に「ゆる〜くていいんじゃない」と警告を発しているのかもしれない。
ところで、私世代の人が集まると、よく話題に出るのが「今なら上手に子育てができるのに」だ。
娘たちには申し訳ないが、私は福のことを年の離れた4人目の末娘のように感じている。もちろん、私が産んだわけじゃない。
「え〜私たちに犬の妹が、しかもフレブルかい」
娘たちの反応を思い浮かべるだけで吹き出しそうになる。あなたたちの子育ての失敗経験が福に生かされているのよ。福を交えての話題は家族の潤滑油になる。
周囲からは「登美さん丸くなったね」とよく言われるようになった。いや、体形のことではない。若い頃の私は、いや福が来るまでの私は少々尖っていた。
最近、サッポロ生ビール黒ラベルの「丸くなるな、星になれ。」というコマーシャルがいたく気に入っている。私の勝手な解釈だが、角が取れて丸くなるより、角が小さくなって、星のように輝くことをイメージしている。丸くなるよりずっと素敵だ。
変化と言うほどのことではないが、福が来てから初めてスニーカーを買った。福を連れてお散歩するのを楽しみにしていた。初めてのオーバーオールも買った。福と思いっきり戯れて遊ぶために。
ところが福は暑いの苦手、寒いの苦手、歩くの苦手で冷暖房が利いた部屋で寝てばかり。今ではどちらも無用の長物となってしまった。
ちなみに私のキャッチフレーズは「お茶目でおてんばなおばあちゃんになりたい」である。最近出版した本の帯にこれを書いたら、友人たちが口を揃えて言う。
「登美さんすでに十分、お茶目でおてんばなおばあちゃんになってるわよ」 いやいや福と名コンビの晩年は、益々茶目っ気を発揮して、おてんばおばあちゃんになって周りを驚かせてやろうともくろんでいる。


