この読みものは、2026年1月発売『とみとふく 76歳、古民家ひとり暮らしの登美さんと、保護犬フレンチブルドッグ福の幸せな日々』(小学館)より、第3章「禍を転じて福となす」の一節を転載しています。
あわや大惨事!
それはいつも通り、福を乳母車に乗せて近所の小さな橋を渡る直前のことだった。大通りを横断して緩やかな坂道に入ると、道路端にジャスミンの花を見つけた。良い香りに誘われてジャスミンの花に近づいたその時、手を放した乳母車が勝手に走り出してしまった。坂というほどの勾配もなかったので、つい油断してしまったのだ。
「ああ〜!」
思いっきり手を伸ばして乳母車を捕まえようとしたが、勢いづいた乳母車は福を乗せたまま橋の横の空き地に突っ込んだ。
その時、傾いた乳母車から福がぴょ〜んと飛んだ。乳母車が走り出してからのこの間は、まるでスローモーションだった。
「福ちゃ〜ん!」
私は大声で叫びながら駆け寄ったが福は川に落ちてしまった。私は必死で川向こうにある階段を駆け下り福を助けようとした。気は焦るがここは山の中。上流だから川幅はさほど広くはないが川の中には大小の石がゴロゴロ転がっている。その石に足を取られて苦労した。
「福ちゃん、大丈夫?」
声をかけたものの、大丈夫でないのは実は私の方だった。苔むした丸い石で滑って転んだ勢いで、川の中にドボンと倒れ込んでしまったのだ。
福は目の前で川の中に四本足で立っていた。
幸いにも福が落ちた場所も私が倒れ込んだ場所も、怪我するほど浅くもなく、溺れるほど深くもなく、両方とも無事だった。あと少しでもずれていたら石に当たって大怪我していたかも知れない。私も福も運が良かった。
とはいえ、福も私もずぶ濡れ。助けを呼ぼうとしたが、携帯電話は橋の上。福は大丈夫そうだから、まずは私一人でヨタヨタと川から上がった。ちょうどそこは私が運営している宿「他郷阿部家」の勝手口。助けを呼びに入ろうとしたがこんな時に限って内鍵がかかっている。いつか見た悪夢のようだ。
うろたえているところに運良くスタッフが通りかかった。
「福を助けてやって〜」
ずぶ濡れの私を見てすぐに状況を察した彼は、川に下りて行って福を抱きかかえて上がってきてくれた。
なんと! そんな折も折、私は彼に「写真を撮って」と頼んだのだ。この状況さえもインスタのネタにしようとしている自分に我ながら呆れる。さすがに福ちゃんのファンに心配かけるから、インスタに上げるのはやめた方がいいと由紀子にたしなめられた。
このあわや大惨事は瞬く間に近所に広まった。小さな田舎町ではこの程度の出来事でも大ニュースになる。この一件は福も私も無事だったので笑い話で済んだ。
数日後、聞き及んでいなかった三女に「福がぴょ〜んと飛んだのよ。橋の上から見たら福は川の中に立ってたのよ。両方ともずぶ濡れ」と報告したら、三女はお腹を抱えて笑った。スタッフは「大変でしたね、お怪我はなかったですか」と優しいが、身内は正直、確かにこの話は笑える。


