人生は一期一会│登美さん 2026年新刊『とみとふく』

この読みものは、2026年1月発売『とみとふく 76歳、古民家ひとり暮らしの登美さんと、保護犬フレンチブルドッグ福の幸せな日々』(小学館)より、「はじめに」全文を転載しています。


人生は一期一会

人生はいつ何が起きるかわからないものである。

 特に後半がおもしろい。還暦を迎えた頃からつくづくそう思うようになった。私は、人生は60歳からが本番だと思っている。それまでに点で出会った人たちが面で繋がり、パズルのように合わさって一枚の絵が見え始める。これが私の人生、と気づかされる。

 古希を迎えると益々おもしろい。

 孔子の言葉、「七十にして心の欲するところに従えども(のり)()えず」にはどれほど励まされたことだろう。心が求めるままに行動しても道理を外すことはないということ。若い頃は心の求めるままに行動して道理を外してばかり、周囲に迷惑をかける生き方しかできなかった私にとって、これほど勇気づけられる言葉はなかった。

 名画『フォレスト・ガンプ』で主人公の母が言う。

「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみるまで何が入っているのかわからない」

 そして「食べてみなければ苦いのか甘いのかわからない」と続く。なんと的を射た言葉だろう。この冒頭のシーンは今でも鮮明に覚えている。

『フォレスト・ガンプ』のサブタイトルは「一期一会」。一生涯にただ一度会うかどうかわからぬほどの縁、一度限りの機会のことを言う。

 しかしたとえ同じ人物と何回会ったとしても、場所や状況が変わればその都度が一期一会と言えるのではないかと思う。

「一期一会」は人だけではない。土地との出会いやものとの出会いも一期一会だと思う。私の場合、夫・松場大吉との出会いから夫の故郷島根県大田(おおだ)市大森町(石見(いわみ)銀山)と出会うことになった。そしてこの町での古民家との一期一会の出会いが私の人生を変えたと言っても過言ではない。

 

 1981年の春、私は山陰の片田舎に帰郷した。時はバブル期直前、特に都会は好景気に沸いていた。一方、石見銀山はその昔、銀の発掘により栄華を誇った面影はみる影もなく、鉱山町が閉山後、衰退の一途を辿るという象徴的な町だった。帰郷当時、若者のほとんどは片道切符で都会に出て行き、今のようにIターンだのUターンだのという言葉さえ聞くこともなかった。

 夫は結婚当初から「いずれ島根に帰る」と宣言していた。結婚前に一度だけ連れてきてもらったことがあったが、私は「なんて素敵な町だろう!」と一目で気に入った。

 しかし、地元で結婚式をあげた時、親戚筋の伯父さんから贈られた言葉は「草の種はたとえ落ちたところが岩の上であってもそこに根を下ろさなければならない」というものだった。よほどこの地に暮らすことが厳しいととれなくもない。どっこい雑草はコンクリートを割ってでも生えてくる。

 幸い私は温室育ちでも箱入り娘でもなかった。むしろ逆境に強い女だと自覚している。四人姉妹の末っ子、お転婆で自由奔放、私が田舎の長男に嫁ぐことを誰もが心配してくれた。

 しかし、春爛漫の季節に帰郷した私はまるで赤毛のアン状態だった。自然の美しさに心躍らせ、これから始まるこの町での暮らしに不安を抱えながらも期待でいっぱいだった。

 振り返って考えてみると、好景気の世間とは逆行するように過疎化、高齢化が進むこの町に帰ってきて以来、私たち夫婦の選択は世間の逆の道を選んできた。

「一周遅れのトップランナー」とまでは言わないまでも、時代の価値観は私たちが選択した方向へと近づきはじめ、はたして奇跡的にも1987年、石見銀山の古い家並は国の重要的建造物群保存地区に選定され、あろうことか更に2007年には世界遺産に登録されることになったのである。あの廃墟の町がこうなるとは誰が想像しただろう。

 私はよく「小さな奇跡の連続だった」と表現するが、ある説によると奇跡は予測したり計画したりすると起きない。只々、夢中になって目の前のことに対して何かの為に、誰かの為にと、情熱を注いでいると奇跡は起こると……。

 確かに後先考えず、何かに夢中になるのは得意。この流行りのものをみることさえない田舎で素人ながらものづくりを始めた。当時はコツコツと好きでためた布のハギレを使って小物を作り、夫がそれを駅のコンコースやスーパーの入り口あたりでワゴンに並べて行商してくれた。折も折、手作りブームだったこともあり、素人ながら見よう見真似で作った小物類は好調に売れた。今で言う雑貨屋さんが雨後の筍のように全国にできて販路も広がった。作る商品は布小物からインテリア雑貨、エプロンその後服にまで広がり、現在は全国展開するライフスタイルブランド「群言堂」を立ち上げるに至った。更に江戸時代の武家屋敷を改修して「暮らす宿 他郷阿部家(たきょうあべけ)」を営んでいる。

 ましてや夫とは「信頼と自立」を合言葉に十数年「仲良し町内別居」をしているというのに、73歳をすぎて保護犬の福と仲睦まじく暮らすようになるとは、本当に人生何が起こるかわからないものである。

 

 保護犬だったフレンチブルドッグ、福との出会いもまた一期一会であった。

「群言堂」で数十年間にわたりデザイナーとして活動をしてきた私は、数年前に後進に道を譲り現役を引退した。生活にぽっかりと穴が空いた私をみて、近所に住む次女の由紀子が、私の老後は何か動物と一緒に暮らした方が良いと考えてくれた。

 第一候補はミニブタだったが、ミニブタを飼っている友人曰く、ミニブタはいずれ大きくなってミニブタではなくなるらしい。思案したあげくフレンチブルドッグ(以下フレブル)を、ということになった。確かにブヒブヒという鳴き声も、短い足でお尻をふりふり歩く後ろ姿もブタに似ていなくはない。

 ネットで里親探しに申し込んだところ、しばらくしてペットショップでは看板娘になれそうな美形の女の子の写真が届いた。

「わー、かわいい!」と由紀子は大喜び。ところが、整いすぎた美形の子に私はいまいち気が乗らない。

「ちょっと考えさせて」と私。

「早く決めなきゃ」と由紀子。

 そうこうしているうちに他に行き先が決まったと連絡が入り、由紀子はがっかり。

 ところが数十分後に「もう一匹こんな子がいますが……」と看板娘とは正反対の不細工な女の子の写真が届いた。

「この子だ‼ この子がいい!」と私は一目惚れした。

 そもそもフレブルは不細工といえば不細工。しかしこの子は単なる不細工ではない。独特の愛嬌がある。この滑稽なまでの愛らしさは天性のものだろう。

 案の定、この子がきてから、笑いが絶えない。正に「笑う(かど)には福(きた)る」。福との出会いは一期一会、天の配剤としか思えない。

 

 本書は、古民家ひとり暮らしの76歳、私、登美のもとにやってきた保護犬のフレブル福との幸せな日々を綴った一冊である。読者の皆さんにも福のおすそ分けができれば、これほど嬉しいことはない。

 

松場登美

2026年1月1日発売
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