一度は途絶えた技を復活させた、
産地の奇跡
ひと目見ただけで、何かが違うと感じさせる色と艶。繊細な揺らぎを宿した群言堂の新作「綿麻スペック染めマス柄」は、新潟にしかない「スペック染め」の先染め糸を使用しています。実はこの染め、3年の空白を経て蘇ったばかりなのです。

スペック染めとは、水に溶けにくい粒子を染料に配合することで、あえてムラを残した染め方のこと。この技術の始まりがいつなのかは正確にはわかっていませんが、すでに1960年代には新潟県見附市を中心に盛んに行われていたそうです。
ただ、この先染め糸で織物をつくろうとすると、染料の調合から糸染め、糸繰り、織りに至るまで、緻密な作業が必要で、非常に手がかかります。自動化できないゆえに、小規模な染工所だけが細々と続けていたこの技は、2022年に最後の一軒が廃業したのを機に、継続不能となっていました。
そんな状況に危機感を感じて立ち上がったのが、新潟県見附市に拠点を置く産元(さんもと)の浅記さん。産元とは、織りや染め、各種加工を担う各工場をつなぎ、布づくりをリードする産地の窓口的存在です。その中でも明治2年創業の浅記さんは、ここ 10年ほど、産地の技を守るべく、廃業する工場を買い取り、職人の雇用も引き受ける取り組みを続けてこられました。群言堂でおなじみ、クロスリードさんの「マンガン絣」も、存続の危機を浅記さんに助けられています。

その覚悟は、スペック染めのピンチにあたっても同様で、浅記さんは即行動。染工所の職人と機械を丸ごとクロスリードさんに移し、ものづくり再開を図りました。
マンガン絣の製造元に、
スペック染めの機械と職人を移して
繊維業界において、いったん途絶えた技が蘇るというのは非常に稀なこと。私たちは、その復活劇を支えた浅記の取締役・羽賀一嘉さんと、クロスリードの社長・佐藤秀男さんにお話を伺いました。

佐藤さん
「染工所さんが廃業になって、機械が競売にかけられて、このままだと全部屑鉄屋さん行きになってしまう、という時にね、浅記さんが競売に出た機械をみんな買い取ったんです。え、それどうするの?まさか設置場所、うちじゃないよね?(笑)って思っていたら、“お宅の工場なら空いてる建屋もあるし、水もボイラーも使えるから、スペック染めをやってくれ”って羽賀さんに言われたんですよね」
そう話すのはクロスリードの社長・佐藤秀男さん。佐藤さんにとっては、まさかの展開でしたが、その時心に浮かんだのは、群言堂の創設者・松場大吉が見附の産地に寄せた思いだったそうです。
佐藤さん
「あれは3年ぐらい前だったかな。後継者問題もあって、マンガン絣はもう続けられない、いつやめようかとなっていた頃、群言堂の松場会長がこっちにお見えになってね。なんとか続けられる方法はないかって、松場会長と浅記の羽賀さんと私とで話し合ったんですよ。あの時は本当に勇気をもらえました。その話がきっかけになって、浅記さんとうちの業務提携が始まり、2024年には正式に子会社にしていただいたんです。あの時のことが今回の挑戦のもとになっていますね」

羽賀さん
「クロスリードさんがうちのグループに入ってくれていなかったら、今、スペック染めはここにないですね。やっぱりうちとしても、新潟でしかできないものを守って続けていきたい。とくに群言堂さんは産地をちゃんと回って、産地ごとの特性も勉強して理解しておられるから、私たちとしてもその期待に応えるものづくりをしたいと思うんですよ」
「復活できた暁には、
最初に群言堂さんに」という約束
マンガン絣もスペック染めも、効率のよい大量生産の真逆を行く技術です。それでもここでしかできない技を守っていこうと決めた人々の心意気が、事態を動かしました。こうして4人の染め職人さんと、買い取った古い機械とがクロスリードさんに移ってきたわけですが、再開までの道のりは簡単ではありませんでした。
羽賀さん
「前の工場から機械を取り外してみたら、修理が必要なところがいっぱい見つかったんですよね。それからクロスリードさんの建屋でも、機械を設置するために配管をやり直したり、コンクリートを流し直したりと、山ほどの作業が必要でした。でも一番大変だったのは、場所が変われば水が違い、今まで通りのレシピでやっても、狙った染め上がりにならないってことです。そこが安定するまでに時間がかかってしまいました。本当はもう1年早く世に出したかったんですけどね」

色が安定するまでは売りものはつくれないからと、ひたすら浅記さんの自己負担でテストと研究を繰り返した日々。その空白期間には、国内だけでなく、海外からも”スペック染めはまだできないのか?”という問い合わせが飛び込んでいたそうです。それでも羽賀さんは「世に出せるようになったら、最初に群言堂さんにお声がけしたい」と言い続けてくださっていました。
職人の肌感覚が生み出す、
絶妙なムラやかすれ
実際の染め作業を見せていただくことにしました。スペック染めの染料は、冬と夏では染め上がりが違ってしまうほど気温変化に敏感。そこで温度と湿度が常に一定に保たれた調合室で、細心の注意を払って染料がブレンドされます。
続いて職人さんの手で、染料と何種類かの液体がブレンドされ、染液がつくられていきます。水状のもの、油状のもの、糊のようなもの。何種類もの液体を計量カップでテキパキと量を計りながら大きなバケツに注ぎ込んでいく職人さん。ひとしきり計量が終わると、職人さんは電動ミキサーを持ち出し、バケツの中の液体を攪拌しはじめました。

佐藤さん
「染料に含まれている粒子を、あれで砕いて細かくしているんです」
佐藤さんによれば、難溶性の粒子を含んだ染料を糸に付着させて高温で蒸すと、粒子が溶けて消失し、粒子の周りにくっついていた色素がムラのある染め上がりをつくるそうです。これを思いついた人は、なんと手の込んだことを考えたのだろうと思わずにはいられません。
見ていると、染液を攪拌している職人さんは、絶えず手のひらで液の手ざわりを確かめています。最初は大きかった粒子が、だんだん微粒子になっていくにつれ、手肌に触れる感触も明らかに変わっていくそうです。最適な染め上がりに合わせてどれほどの粒子感を残すのか。それを職人さんはこの肌感覚で判断するのです。

やがて「よし」という瞬間を見極めた職人さんは電動ミキサーをぴたりと止め、染液を機械に流し込み始めました。そして白いカセ糸(一定サイズで巻いた糸の束)を機械にセットすると、機械が振動を始め、染液が糸に揉み込まれるように浸透していきます。こうやってカセ糸に染料を行き渡らせたら、一度脱水機にかけ、高温での蒸し工程(色定着)へと進んでいきます。


こうしてようやく群言堂がお願いした麻の「スペック糸」が完成。これが機屋さんに送られ、生地に織り上げられるのです。
立場の違いを超えて、
手と手をたずさえ技を磨く
私たちは羽賀さんに案内され、スペック染めの糸を織ってくださっている記祥織物さんにもお邪魔しました。ここは戦後に創業して以来、長い歴史を持つ機屋さん。家業を継ぐ後継者が途絶えたのを機に、2014年に浅記さんの傘下に入っています。
記祥織物さんは長年、こだわりのある織物や難易度の高い織物を多く手がけてきた歴史を持ち、これまで群言堂の生地も多く織ってくださっています。スペック染めの糸の扱いにも精通しておられ、3年のブランクがあったとはいえ、その仕事ぶりは慣れたものです。

生産管理を行う福王子雅博さんにお話を伺いました。
福王子さん
「スペック染めの糸は、普通の先染め糸よりもデリケートで切れやすいので、取り扱いに気を使うんです。それからカセ糸の外側と内側ではどうしても色の濃淡差がありますから、それを生地全体にバランスよく分散させるのにも気を使います。それをちゃんとやらないと、帯状にムラが出てしまいますから」
一つひとつは地味だけれど、おろそかにするとてきめんに仕上がりに影響を及ぼしてしまう手順の数々。そんなところに黙々と向き合う人々の姿に、新潟という土地に育まれた粘り強さを感じます。



最近では、記祥織物さんとクロスリードさんが浅記さん傘下で協力関係になったことで、喜ばしい変化もあったそうです。高齢化が進んでいるクロスリードさんと、記祥織物さんの平均年齢を比べると、まるで親子ほどの年の開きがあります。つまりクロスリードさんが磨いてきた技術を、下の世代の人たちに受け渡していけるということ。生地の設計を担当する平尾忠志さんはこんなふうに話します。
平尾さん
「以前は同じ産地のライバルでしたが、今はグループ会社同士なので、技術面の相談もしやすくなりました。クロスリードさんには生地設計のキャリアが長い方がいらっしゃって、私たちが織ったことのないものでも “それなら織ったことがあるから教えますよ”、って言っていただけるので、ありがたいです」

さまざまな産地を巡る中で、技術者の引退や廃業などによって「あれはもうできなくなったんです」と言われることが少なくない今、スペック染めの復活は私たちにとってもうれしいニュースでした。その思いを受け取った私たちは、これからも末長く産地との二人三脚を続けながら、この染めの魅力を、布を愛する方々と分かち合っていきたいと思うのです。

