「大気に住む者」展 スペシャルレポート vol.1 和眼鏡制作者・山ノ瀬亮胤さんインタビュー

2026年4月17日(金)より群言堂本店2階ギャラリーにて、企画展「七世 山ノ瀬亮胤+新野佑一 大気に住む者」が開催されます。和眼鏡制作者・山ノ瀬亮胤(りょういん)さんと、木彫刻師・新野佑一さんが、この里山の風光に触発されてつくり上げる「心の眼をひらく」試み。その背景にある思いを、京都在住のライター松本幸さんが、山ノ瀬さんにインタビューしました。


異色な工芸コラボレーションの発端をさぐりに、京都西陣へ。

「京都にいらっしゃる和眼鏡の作家さんのところへ、一緒に話を聞きに行きませんか?」。そんなお誘いが群言堂から飛び込んできたのは2月中旬のことでした。「はて?和眼鏡?」。初耳なその言葉とともに、私に送られてきたのは、一枚の写真。そこには不思議な眼鏡をかけた木彫りの龍が写っています。圧倒的な精緻さとともにそこにある、見たこともない造形。これが目下、群言堂本店2階ギャラリーで準備を進めている展覧会のための作品だというのです。異色な工芸コラボレーションに、がぜん興味が湧いたのは言うまでもありません。

「大気に住む者」展(会期:2026年4月17日〜6月2日)では京都を舞台に活躍する和眼鏡制作者・山ノ瀬亮胤さんと、福井県若狭町にて社殿の彫刻や仏像から身近な生活工芸まで手がける木彫刻師・新野佑一さんがタッグを組みます。

私たちが訪ねて行ったのは、今回の展覧会企画の発案者である山ノ瀬亮胤さん。江戸金枠(きんわく)の名跡を受け継ぐ七世である山ノ瀬さんのアトリエは、京都の中でも古くから職人のまちとして知られた西陣エリアにあります。

山ノ瀬さんがこの企画を発案した理由を伺う前に、予備知識のない私は、まず山ノ瀬さんの仕事を知ることから始める必要がありました。「そもそも江戸金枠とは?」「和眼鏡とは?」脳内がクエスチョンマークだらけの私に、山ノ瀬さんは穏やかな口調で語り始めました。

 1996年、世界でも珍しいオートクチュールの眼鏡工房を設立。現在は「ソシエテヌーベルリュネト視覚研究所」所長として、眼鏡を工芸〜純粋芸術の領域に広げる活動を行っている山ノ瀬亮胤さん。

江戸金枠職(和眼鏡職)の系譜を受け継ぐ者として。

山ノ瀬さん
「家系を辿ると、うちの先祖は安土桃山時代まで京都にいて、簪(かんざし)や刀装具を手がける餝(かざり)職だったようです。それが江戸幕府の誕生とともに家康公について江戸にくだったんですね。その後、江戸時代の中頃に、眼鏡をつくる金枠の仕事に特化したのが亮胤一世です。そこから眼鏡づくりは僕の曽祖父の代まで続きました。

 うちの先祖と同じ時期に江戸にくだった方に、村田さんという鏡師がいましてね。村田家は代々、将軍家御用達の鏡師をつとめた後、明治5年に東京日本橋で日本で最初の眼鏡専門店の看板を上げ、その後には皇室御用になりました。村田さんとは古くから仲が良くて、特に14代目長兵衛氏は僕のことを何かと気にかけてくれて、お店に伺う機会も多くなりました。そこから興味を持って職人さんとも交流していくうちに、眼鏡の世界に取り込まれてしまったんですね」

独立後しばらくして拠点を東京から京都へ移した山ノ瀬さん。「古くからものづくりのまちだった西陣の環境は、僕にとてもよく合っていました」と話します。

山ノ瀬さん

「そこから村田さんに眼鏡職人の工房をご紹介いただいて、職人修行を始めました。僕がその世界に入った頃、先輩は80代の祖父世代ばかり。技術を継承しようとする人なんか、もう誰もいなかったところに、僕みたいな若いのが入ってきたから、もうみんな嬉しいわけですね。だから寄ってたかって僕に仕事を教えようとしてくれた。いっぱい叱られもしましたけど、昔なら黙って盗むしかなかったような仕事を、僕に見せて伝えようとしてくれたんです」

そうやって先輩たちが語り継いでくれた眼鏡づくりの技術から、山ノ瀬さんは次第に日本独自の哲学を嗅ぎ取っていきます。

「ハンドメイド」を謳う眼鏡は国内にも多々あれど、それらのフレームは多くが樹脂製。金属枠を手作業で切り、削り出す作業を行っているのは、国内外問わず希少な存在です。

山ノ瀬さん
「先輩たちがつくっていたのは工業製品としての眼鏡であり、今僕が手がけているような和眼鏡とはもちろん違います。でもそこにはやはり日本ならではの何かがありました。例を挙げると、眼鏡のフレームには弾力やバネが必要でしょう。金属を加工するには火で熱を加える必要がありますが、金属は火にくべるほど弾力がなまってしまうんです。ですから江戸時代から続く眼鏡の考え方は、火による加熱を極めて少なくして、金属を叩いて締めて部位ごとにバネの強弱をつけていきます。ミニマルな引き算の美学ですね」

細部にこだわり、緻密に手をかけながらも、その苦労を表に出さず、淡々とした佇まいに仕上げてしまう日本の職人技。そこに惚れ込んだ山ノ瀬さんは、「日の当たらないこういう仕事が報われるためにはどうすればいいか」と考えるようになったといいます。

鉄のリム(縁)に漆塗りの竹製テンプルを組み合わせ、極上のフィット感を叶える「和眼鏡」。17世紀初めに南蛮から製法が伝来した眼鏡を、次第に独自文化の中で洗練させていった職人たちの創意工夫のDNAが、ここにも形を変えて宿っています。

工業化によって失われた「眼鏡と人との豊かな関係」を蘇らせたい。

そんな修行時代を経て、山ノ瀬さんは1996年に独立。完全受注による眼鏡づくりのかたわら、日本の眼鏡の源流を辿るべく、古い文献などに当たり、自分なりの考察を深め始めました。つまり「和眼鏡」とは、かつて江戸時代に花ひらいた技と美学を現代に甦らせ、工業化によって失われてしまった「眼鏡と人との豊かな関係」を取り戻したいと願う山ノ瀬さんのライフワークと言えそうです。

山ノ瀬さん
「今って、サングラスが初めて登場したのは1930年代のアメリカだというのが通説になっています。でもそれよりずっと昔、すでに江戸時代から、日本にはサングラス的な眼鏡をかけていた傾奇者(かぶきもの)がいたんですよ。それから昔の中国の皇帝も、相手に目を見せないために眼鏡をかけました。皇帝といえば神に等しい存在ですから、そもそもものを見る必要がないし、当時は位の高い人ほど心中を読まれないように、目を隠そうとする文化があったんです」

ずっと昔から、眼鏡とは「見るため」だけでなく「見ない/見られない」ためにも存在したということ。注文主のためだけにつくられていた眼鏡だからこそ、その役割や機能、意匠は決して一律なものではなく、現代の私たちの常識を超えたものもあったはず、と山ノ瀬さんは話します。

そういえば、こんな話を聞いたことがあります。現在では雨や日差しを防ぐ道具と考えられている傘も、かつては高貴な人の立場を表す神聖さのシンボルであり、厄除けとしての意味も持っていたと。遠い昔、いくつかの道具は、単に生活に必要な機能を提供するだけでなく、時には祭礼的・呪術的な役割も果たしてきました。眼鏡も、もしかしたらそうだったのかもしれません。

仏様から注文を受けたつもりで制作した眼鏡。「薬師如来が薬壺を手にしているように、仏像はそれぞれに有用な道具を持っているでしょう。だから眼鏡をかけた仏像があってもおかしくないと僕は考えました」

江戸時代につくられた眼鏡がほとんど残っていない中、手探りで集めたたくさんのヒントから、「当時の職人ならどうしただろう」という想像を膨らませ、正解のないものづくりに挑む日々。実用品としての眼鏡だけでなく、大胆に飛躍した造形作品をつくり展覧会を開催するという活動も、そんな山ノ瀬さんの「問い」が原動力となっています。

表現者として「技術」に身を捧げる意味。

山門に立つ仁王様のために制作した眼鏡。3つのレンズがある眼鏡。目の前に森林を現出させるための眼鏡。これまでも展覧会のたびに、現代人の凝り固まった常識を覆すような作品の数々を世に問うてきた山ノ瀬さん。今回、群言堂本店での展覧会に登場する「阿吽の龍にかける眼鏡」も、まさにそういった「眼鏡の根源を問い直す」作品群のひとつです。

リムの中に仕組まれた飾り彫りが動いて、目の前に違う景色を現出させる眼鏡。

山ノ瀬さん
「眼鏡とはこういうものだという思い込みを、解き放ちたいんです。自分たちが知らないだけで、ひょっとしたら古い土蔵にこういうものが仕舞われていたかもしれない。自分たちが知らない時代に、自分たちが思ってもみないようなことを、真剣に考えていた人がいたかもしれない。そんなふうに信じることができたら、もっと自由に生きられると思うんです」

そして、これらを美術品として区別せず、あくまでも「道具」として捉えているのが山ノ瀬さんらしいところ。

「自分たちの知らない世界を想像する力」こそ、世の中を良い方に変えていく力を持つと思います、と話す山ノ瀬さん。

山ノ瀬さん
「空想のものであっても、本当に道具として機能するよう、こだわり抜いてつくっています。それがたとえ今の世の中ではまったく必要とされない機能だとしても、徹底的に真面目につくっている。だからこそ技術が大事なんです。作品を通して人に自分の思いを伝えたり、感動させたいと思うなら、表現者のよりどころとなるのは技術です。そのためには1/100ミリとか1/1000ミリの違いを自分の目で判断し、自分の手で再現しないといけない。でも人間にはその力があるんです。僕だって今は老眼ですが、きっと別のチャンネルがあるんでしょうね、仕事をしているうちにどんどん目の精度は上がっていきます。それでも、一瞬でも自分の中によこしまな気持ちが生まれたりすると、とたんに糸鋸の刃が折れてしまうこともあって。そんな時は、ああ自分が未熟なんだなと思いますね。ですから僕にとって、仕事というのは常に辛くて厳しいものです」

「いい道具とは、人を律し、人に学びを与える存在である」というのが山ノ瀬さんの信念です。

やわらかな語り口とは対照的な、求道者のような厳しさ。それは、歴史の中に無数に存在した、かつての職人たちの姿をも彷彿とさせます。

目に見えない精霊たちが語りかける声に、耳を澄ませて。

「群言堂のギャラリーで、龍顔を展示したい」という構想は、山ノ瀬さんが2025年末に大森町を訪れた際に生まれたそうです。対面する阿吽の龍のあいだに広がる空間を、過去から未来へつながる時空として捉え、訪れる方々がその時間軸を旅するような空間にしたいというのが、山ノ瀬さんの考えです。

山ノ瀬さん
「群言堂さんの本社しかり、他郷阿部家しかり、周辺の自然しかり、ここにいると、この土地と歴史に育まれたものの気配が色とりどりに満ちていることが感じられてね。それはひとことで言うと精霊なんですよね。われわれも含めて生きとし生けるものすべてが、過去から未来へ続く時間の中で、上も下もなく、ここにある光や音や風や匂いを共有する仲間であることを表現したいし、感じてほしいと思いました」

山々の息吹がいきいきと感じられるこの2階ギャラリーに、どんな展示空間が現出するのでしょうか。

見えないけれど、いつも当たり前のように存在して、そこに生息するあらゆる命に絶えず何かを語りかけている精霊たち。風土、あるいは風光とは、そんな無数の精霊たちが生成したものなのかもしれません。

山ノ瀬さん
「最近思うんですが、ものづくりとは、自分の内から湧いて出てくるものと、外界から押し寄せてくるものとが触れ合う薄皮一枚のところで成り立っているのかな、と。自分の仕事であっても、自分一人のものとは思えない、というかね。たとえばこの部屋にいても、夏になると、お祭りの音が聞こえてきたな、とか、焼きそばの匂いがするな、とか感じるわけですよ。秋になると目の前の銀杏並木が色づいて、部屋の中まで黄金色に染まるし、それからこのまちの人との関わりとかね。無意識のうちにありとあらゆる刺激を受け取っているわけで、そういうものがすべて自分のものづくりに影響していると思います」

山ノ瀬さんのお話は「すべてのものは関係性から生まれる」という東洋思想にもつながっています。

山ノ瀬さん
「今回の展示は余計なこと思わなくていいのかな、って気がしてるんですよ。そのままハマるところにスッと自然に置くだけでいいような。遊ぶように自由にね」

これまで山ノ瀬さんが手がけてきた展覧会とは、ひと味もふた味も違うものになりそうな予感に満ちた「大気に住む者」展。表現者のまなざしが、大森町の気配と共鳴した先に、どんな展示空間が生まれるのでしょうか。


次回は、山ノ瀬さんの展示パートナーである木彫刻師・新野佑一さんをお迎えして、インタビュー続編をお届けします。4月下旬の公開を、どうぞお楽しみに。


取材・文 松本 幸
日本のものづくりや食・農・古典芸能にまつわるストーリー収集を愛するライター/コピーライター。目下、茶道にハマり中。2007年「パリ発キッチン物語 おしゃべりな台所」(主婦と生活社)を刊行。


七世 山ノ瀬亮胤+新野佑一
「大気に住む者」

会期:2026年4月17日(金)〜6月2日(火)
場所:石見銀山 群言堂 本店2階ギャラリー
   島根県大田市大森町ハ183
開館時間:11:00~17:00
休館日:水曜日、5月7日(木)
※4月29日(水・祝)、5月6日(水・祝)は開館いたします。

観覧料:無料