それぞれに選んだ道 それは同じ川の流れの中に。|登美さんからの手紙

今年38歳になる三女の奈緒子は、小学生の頃、七夕の短冊に「お母さんの後を継ぐ」と書いたことがあります。そんな彼女は今、5人の子を持つ母として、また町内の保育園を運営するNPOの理事として、このまちの子育てを支える役割を担っています。

最近、私は思うのです。選んだ道こそ違えども、私も娘も、大きな川の流れの一部であり、この地で受け取ったものを次の誰かに手渡していく「恩送り」をしている点では同じなのだと。

東京の服飾専門学校で出会った彼と結婚し、長男を生んだ奈緒子は、2012年、家族で大森町にUターン移住をしました。当初は、ふるさとでありながら、身の置き場が見つからないモヤモヤを抱え、悩んだ時期もあったようです。

そんな彼女が殻を破るきっかけになったのが、保育士資格を取る勉強を始めたことでした。資格取得を思い立った理由のひとつは、その頃、町内の幼稚園が存続の危機にあったこと。園児が2人にまで減ってしまい、保育士の確保さえ危ぶまれる中、「自分の町を自分の手で守らなくては」という思いが彼女を動かしたのです。

その後は、耕した畑に種が落ちて芽吹くように、Iターン移住者が増え、2017年には1年に10人もの赤ちゃんが誕生するというベビーラッシュが到来。まさに「大森町の奇跡」でした。

娘とよく言うのは「ここでは”お互いさま”のスパンが長いよね」ということ。思い返せば彼女が幼い頃は、寝る間も惜しんで働いていた私に代わって、義母やご近所さんが彼女の面倒を見てくれました。そして今は、かつてお世話になったお宅のお孫さんを、奈緒子が見ているという塩梅。世代を超えて”お互いさま”が続いているのです。

人口400 人という小さな町のいいところは、顔の見える誰かや町のために、自にもできることがある、と思える点です。娘を横目で見つつ、私は私で、またもや普請道楽を発揮し、頼まれもしない古い家の修復に熱中する日々を送っています。先の使い道は考えず、その家が喜ぶように直してあげる。そうすれば自ずと家は生かされ、役割が与えられて、次の世代へとよい形で残っていくでしょう。私と娘、それぞれの「恩送り」は、これからも続いていきます。


石見銀山生活文化研究所 相談役
暮らす宿 他郷阿部家 竈婆
松場登美

登美さんの日常、インスタグラムで覗いてみませんか

登美さんからの手紙 読みもの一覧